仲江孝丸活動メモ

 
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 6月30日 孫対孫

 那智勝浦の木戸浦球場で宇久井のチームと古座のチームの練習試合が行われて、どちらのチームにも孫が加盟しているので、両方の応援に行く。

 宇久井の孫は5年生。先発でレフトを守る。フライ2発は難なく受けたが、ライナー性の当たりは取り損ねる。同居の孫は4年生で、最終回にライトで起用される。まだルールを十分理解していなく、どちらに飛んでもあまり動かず。二人ともヒットは打てず。まあ、まだまだ始めたばかりなのでこれからやね。

 6月29日 集金

 朝から西向小学校のカヌーイベントを予定していたが、昨日の雨で増水しているため延期となった。予定が空いたので今日は終日新聞の集金に回る。集金先で議会の報告を行い、地域の情報を仕入れる。

 夕食後孫とキャッチボールをして打撃の特訓を行う。明日、同居の孫のチームと宇久井の孫のチームが試合をすることになっている。

 6月28日 館内ガイド

 ジオパークセンター館内ガイドの当番日。空飛ぶ車の実証実験会議がひらかれ、会議参加者が終日出入りする。本日もっとも遠くからの来館者はトルコからの家族。とは言っても東京出身で現在トルコ在住で、一時帰国して国内を旅しているとの事。

 熊野エリアの観光情報誌KUMAKUMAに私へのインタビュー記事が掲載される。センター職員から「載ってますよ」と手渡される。

 6月27日 観光協会総会

 南紀串本観光協会の総会が開かれて出席する。委任状が多く、実際に参加した20数名の中でも観光業の人はほとんどいなく、旧古座観光協会のメンバーもほとんどいなかった。経過報告や決算についても発言はなく議事は淡々と進んでいく。

 予算及び活動計画に関し私が発言。①民泊はことしも見合わせるとあるが、そろそろ廃止を決断して、それに代わる事業を考えて行くべき時期だ。②収益事業に関しては具体的な提案をして話し合う必要がある。旨の意見を述べた。

 一般的に市町村の観光協会は補助金を受けて毎年一定のパターンの活動を無難にこなせば良いという傾向がある。旧古座観光協会は独自の財源を確保するために、収益事業を積極的に取り組んできた。合併してその取り組みが薄れてきてはいないだろうか。観光協会には役員会があるが、それだけ機能しているのか、不明である。

 6月26日 議会最終日

 水口議員と長脊議員が一般質問を行い、追加議案を審議して6月議会は終了した。

 さて、私は町の魅力を掘り起こし、それを磨き上げて、住民が誇りをもって暮らせるまちづくりを行っている。観光協会ガイドやジオパークガイドの活動。また町の歴史を掘り起こす活動もその一環だ。

 しかし、自分の住んでいる町をけなし、評判を貶めて、自分のPRに使おうという輩もいる。提案はするが実現できない提案ばっかりで、それができないことも他人のせいにする。いいかげんに目を覚ましてほしいと思う。

 6月25日 一般質問2日目

 本日は五十川議員・沼谷議員・吉村議員・橋爪議員が登壇。それぞれ私とは違う切り口で町政に関する質問を行っていた。

 終了後、広報委員会が開かれる。もしかして荒れるのかもと思っていたが、淡々と協議が進み、短時間で終了することが出来た。私は3月議会報告の担当で、3ページもあるので、結構責任は重い。3月議会の模様をリアルに報道したいと考えている。

 6月24日 一般質問

 一般質問が始まる。トップバッターは例のごとく私。内容は
①捕鯨の歴史と文化の継承
②万国博覧会への対応
③マイナンバーカードとマイナンバー保険証の対応
④漁業権について

 捕鯨の歴史に関しては体の半分がクジラで作られた(太地出身)教育長との論戦を期待していたが、事前の打ち合わせがなかったので話しがもう一つかみ合わなかった。大阪万博と健康保険証の廃止問題は、いずれも町は住民の不安を解消する立場でなくてはならないのだが、万博協会や厚労省の見解の代読で、どちらを向いて仕事しているのかを問うことになった。漁業権に関しては、古座川のウナギの漁業権設定に関して、もう少し法的見解を答えて欲しかったのだが、住民がトラブルに巻き込まれないように、キチンと調べるよう申し入れた。

 本日は他に北地議員と清水議員が登壇。清水議員は大勢の傍聴者を集めたが、火葬場建設に関して町長が丁寧な答弁を繰り返したのだが、話しの内容を全く理解せずに、自分の主張を繰り返す。一方的な批判で項目を打ち切ろうとするので、その都度町長が答弁をもとめて、話しが堂々巡りになる。質問時間の終了間際に私の悪口を長々と言い始めて、答弁の時間がほぼないまま終了となった。
 
 後刻開かれた議会運営委員会でも一方的に主張して答弁させない姿勢は問題があると指摘があった。

 6月23日 鉱物研修会

 南紀熊野ジオパークガイドの会主催の「ジオパークで見つける楽しむ希少鉱物」の研修会を開催する。講師の石橋先生は今話題の北海道石の発見に関わられた人で、串本町内でも世界的に希少な鉱物を幾つも発見しており、これまでもジオパークフェスタに参加して頂いたり、南紀熊野ジオパークとも縁の深い方である。

 北海道石のサンプルを幾つも持ってきてくれて、その生成の仕組みや調査の時の模様など解説してくれて、講演終了後は参加者が持参した岩石・鉱物の鑑定もしてくれた。

 夜は伝馬船にて石橋先生を囲んでの懇親会。各地のジオパークの岩石販売に関するトラブルなどの情報を話してもらう。


 6月22日 ジオパークガイド役員会

 ジオパークセンターで南紀熊野ジオパークガイドの会役員会を開催する。経過報告の後、予定されている行事の進行状況や全国大会に向けた取組等を協議する。

 午後からは開催地のエリアリーダーがガイドするウォークの実施で、今回は串本街中歩きを行う。矢倉神社~無量寺~海軍地下送信所を見たのちに雨が降り出す。

 6月21日 一般質問の準備

 哲学系ゆーちゅーばーじゅんちゃんを見て、一般質問のネタを仕入れる。フォロワーが7万人を超えた。マイナンバーカードも大阪万博も、私が今まさに知りたいことを教えてくれる。

 明日行うジオパークガイドの会の役員会資料の準備も行う。午後から串本街歩きもあるので、その準備も行う。

 6月20日 Zoom研修会

 午前中は日曜版の配達。午後から日本ジオパークネットワークのZoom研修会があり、自宅で受講。今回は日本ジオパーク委員会の中田節也委員長による「世界ジオパークネットワークの基礎」

 南紀熊野ジオパークガイドの会ではジオパークセンター館内ガイド向けに「ジオパークの歴史とネットワークの大切さ」と題して研修を行っている。来年は今回の講演を聞いてもらえば良いかなと思って聴講したが、範囲が広すぎて取捨択一する必要がある。

 6月19日 楠本ふみろうさん来町

 次期衆院選挙に和歌山2区から日本共産党公認で出馬を表明している楠本ふみろうさんが来町。朝から各種団体の長を表敬訪問。合間に串本町の戦争遺跡や海外出稼ぎの資料を展示した潮風の休憩所を案内。午後からは旧古座町内を街頭演説して回る。夜一緒に鉄板焼きを食べながら天下国家を語りあう。

 6月18日 事務作業

 天気も悪かったので家にこもり22日に行われるジオガイドの会役員会の議案書を作成する。毎回結構時間がかかる。一般質問の原稿づくりと6月議会の民報の原稿づくりも並行して進める。午後から用があって串本へでかけ、ついでに夕食の食材を買ってくる。

 6月17日 太地へ

 太地のドルフィンリゾートへ知人に会いに行ったのだが、現在堺に居て、ここへはたまにやってくるとの話で会えなかった。せっかくなので道の駅でクジラカツ定食を食べ、干物を買ってくる。

 午後から西向小学校のクリーンアップに参加するつもりでいたが、雨で中止の放送が入る。予定変更で一般質問の資料を検索する。

 6月16日 館内ガイド

 ジオパークセンター館内ガイドの当番日。本日は最近では珍しく外国人は誰も来なかった。現在ジオパークセンターでは、南方熊楠の研究した粘菌の展示と、瀞峡に関する絵本の原画展が開かれている。

 瀞郵便局の局長が来館。瀞郵便局は奈良県十津川村にある。来月ジオパークガイドの会で講演を依頼しているのだが、その前にジオパークのことを知っておきたいと、やってきてくれたのだ。 

 6月15日 墓参り

 女房の実家の墓参りに和歌山市まで出かける。以前は妹夫婦が紀美野町に住んでいたので時折花を替えてくれていたが、今は横浜に住むようになったので、墓の世話は私たちで行っている。ついでに海南市と田辺市で買い物をして帰ってくる。

 家に帰ってから、目津のひとがアメリカ人家族からの置手紙を届けてくれる。「Wou! we sthill can't wrap our mind the fact that We met our family yesterday.」と書かれていた。嬉しさが伝わってくる。

 6月14日 ルーツ 最終章

 定例議会2日目は午前中に審議を終える。

 9日の日に我が家を訪ねて来た日系アメリカ人のルーツを探して右往左往してきたが、探している人が見つかった旨メールを送ると、京都に滞在して明日東京に行く予定だったのを変更し、もう一度来町することになった。

 午後3時過ぎに到着し、一緒に親戚の家を訪問する。事前に連絡してあったので、夫婦で待っていてくれた。お互い言葉が通じないのでGoogleさんに翻訳してもらう。親戚の人は「子どものころ、アメリカの親戚からチョコレートやコーヒーを送ってもらった」と話しをして、その時に同封されていた写真を示すと、「これは私、これは姉」と大興奮!!日本とアメリカの歴史が繋がった。

 先祖の墓地の近くには、事前に連絡していた親戚の人たちが集まってくれていた。とりあえず私の役割はこれで果たすことが出来た。めでたしめでたし。

 6月13日 定例議会初日 討論を2本

 国民健康保険の専決処分の議案が提出される。租税法律主義という大原則があって、現憲法下では税率改定は議会の承認なしに行ってはならないことになっている。江戸時代の年貢のように、お上の都合で勝手にあげることはもちろんのこと、行政の都合で勝手に上げてはならないのである。

 まあ、それでも住民にとって有利な改正は専決も認めてきたが、新町合併後、最高限度額の引き上げを毎年専決処分してきている。私は今年も法律の原則を守るよう、承認に反対したが、賛成多数で承認される

 古座分庁舎で行っている窓口業務を郵便局に委託する内容の提案も行われた。私は関係の自治会と協議をおこなったか質疑したら、なんと驚くことにしていないという。進め方に問題があるとして私はこの議案に反対した。採決の結果これも賛成多数で可決となる。

 6月12日 議会準備

 一般質問の準備を始める。4項目にするか5項目にするか迷っている。メインの捕鯨の話にどれだけかけるかだ。

 ルーツ探しの続きだが、朝から電話がかかり、本家の戸籍謄本が入手できたと連絡があり、もらいに行ってくる。それをもとに墓石の記録も合わせると4代先祖までたどることができて、とりあえず目的は達成できた。アメリカ人家族にメールで知らせる。併せて先祖の名前の刻まれた墓標の写真も送る。

 6月11日 原稿執筆

 戦争遺跡全国ネットワークから執筆依頼が来て、締め切りは11月なのだが、置いておくと忘れるので早速執筆して原稿を送る。普段から話し慣れている内容なので短時間で書きあがる。

 ジオパークガイドの会の契約書を作成し、定番コースを企画した人たちに「試行ジオツアーを企画しませんか」との呼び掛け文を作る。

 夕方、今年から少年野球を始めた孫の打撃練習に付き合う。

 6月10日 ルーツ

 ルーツといえばクンタ・キンテ。わかるかな?わからんやろな!それはさておき、アメリカからはるばるルーツ探しに来た人の手助けで、西向の親戚とみられる家を訪ね、墓石を探る。
 すると曾祖父の兄弟とみられる人の墓石を発見。しかし曾祖父の墓石は見つからず。親戚の人は乗り気になって戸籍謄本を取ることに協力してくれた。その結果、曾祖父の父親の名前まで分かったが、明治8年以前の記録は探れなかった。とりあえず分かった範囲をメールで知らせる。

 今日は午前中東牟婁振興局の職員から振興局が発行している雑誌に関して、大辺路刈り開き隊に関する取材を受ける。私は今は役員をしていないのだが、過去の経過を聞かれたら私でないと答えられない部分もあるので引き受けた。

 6月 9日 館内ガイド

 ジオパークセンター館内ガイドの当番日。4時半に起きて日刊紙を配達し、帰宅後英語のメールに返信をして、6時50分から溝掃除に出かける。溝に大量に砂がたまっていて、ジョレンでかき上げる。
 隣の班とはお互い北と南から掃除をしていって、合流するところまでやろうと話し合っていたが、私の班からはあと二人草刈り機をもった人が参加していたが、私が雑に刈り倒した後をきれいにきれいに刈り揃えてくれているために、合流点の方向の草刈りをやってくれないので、仕方なく8時すぎまで雑に刈り進む。

 時間が来たので作業を途中で切り上げて慌てて家に戻りシャワーを浴びて着替えてジオパークセンターへと急ぐ。本日の相方は新人ガイドだったので、質問攻めにあう。やる気十分である。台湾からのカップルが来て、Google翻訳でエムリバーの解説をする。

 6月 8日 草刈り

 孫の10歳の誕生日で昼食に佐野のトマト&オニオンへ行く。帰宅後、明日の区の大掃除を途中で抜けなくてはならないので、ノコギリで溝の傍のアカメガシを切り、ノイバラとススキの藪を刈りあらける。私の班も高齢化が進み、草刈り機を使える人が私以外に80歳近い人しかいないので、一番やばっている(繁茂している)ところはあらかじめ刈っておく必要がある。

 6月 7日 弁護士事務所へ

 清水議員とそのグループからの一連の訴訟に勝訴してきたが、この間の裁判所に出廷した日数を合計すると40日を超える。私は地域の歴史・文化を掘り起こし、町興しの取り組みを行っている。準備に費やした日程を含めると、どれだけ無駄な時間を浪費したかと思う。相手は控訴審に弁護士をつけて論点をそらしてきて、話しがかみ合わないのでこちらも弁護士を依頼することにして、田辺の岡田弁護士に相談に行ってくる。

 昨日我が家にやってきた日系アメリカ人の家族が姫に民泊滞在していると聞いたので、もう一度会いに行ってくる。googlさんに翻訳してもらいながら話しあって、「とりあえず同姓の人に私から、親戚でアメリカに移民した人はいないかと聞いて見ます。」と話す。

 その足で、移民といえばこの人と、尾鼻先生の家を訪ねたが、「オーストラリアの資料は沢山あるが、アメリカ移民は詳しくない。太地の桜井学芸員に聞いてみてはどうか」とアドバイスをもらう。ついでに1時間余り潮風の休憩所のことなどを話し合う。

 6月 6日 草刈り

 町の合併前に古座町では財産区からの支出で各区が避難路を整備した。その避難路の日常管理は区の役員でそれぞれ担当が決められている。我が家の近くの崩れ避難所の草刈りを行う。

 終了後、養春の草刈りを行う。年に2回はシルバー人材センターの人たちが来て刈ってくれるのだが、それだけでは到底子どもたちが遊びまわれる状態を維持できない。なので、遊具の近辺はこまめに草刈りを行うようにしている。

 夕方セ・ラ・セゾンの店員が日系アメリカ人の家族を連れてやってくる。自分の家のルーツを探しているとのこと。名前を聞いて、岩渕と目津にその名前の人がいると教える。なんせ自動翻訳を使ってのやり取りなので、詳しい事は分からなかった。

 6月 5日 捕鯨の授業

 朝から議会運営委員会。6月議会の日程案を協議する。

 午後から串本古座高校で捕鯨の授業を行う。1時間目は古式捕鯨。2時間目は近代捕鯨について話をする。近代捕鯨では明治期の串本の企業家(いずれも旧地士・網元)たちが捕鯨の事業所を起業したり誘致したりして、役員を務めていたことなどを紹介する。

  議運で決まった6月議会の日程案は以下の通り
 6月 4日 多忙な一日

 午前中文教厚生常任委員会。くしもと小学校の建設工事の入札が行われたが予定額を上回ったため不調に終わったとのこと。原因は資材の高騰や職人不足との話しで、やっぱり大阪万博をやめなあかん。

 午後から環境省のZoom会議にジオパークガイドの会の会長として参加。環境省・ジオパークガイドの会・ジオパーク推進協議会・USPジャパンとで吉野熊野国立公園の活用について意見交換を行う。

 夕方、原水禁世界大会を目指す平和行進が串本町入りして出発集会が開かれる。今年は町長・議長・佐藤県議が参加して一緒に行進する。ドイツ人・フランス人も参加して国際的な集会となる。私は恒例の「青い空は」をギターでシングアウト。

 6月 3日 法律を作るものが法律を守らない 

 自民党の裏金問題。政治団体を迂回することによって脱税しているのみならず、税額控除で還付金までもらっていることが明らかになってきた。根本原因はパーティー券名義での企業献金や、官房機密費などのダークマネーがまかり通っているところにある。

 法律を作るものが法律を守っていないことにきちんとメスを入れる必要がある。

 さて、町議は条例制定の権限がある。政治倫理条例は自分たちで決めた条例である。それを守っていないことで審査を受けて決まったことは従わなければならない。相手が悪いのだから条例に従わなくても構わないと主張するのは、いわゆるアウトローの立場だ。

 串本町議会では議会会議規則や政治倫理条例を守る健全な議会作りが求められている。

 6月 2日 資料作り

 6月5日に串本古座高校へ捕鯨に関する授業に行く。昨年作ったプレゼン資料を大幅に手直しして、近代捕鯨の資料を増やす。以前から語り部で使っている「明治期における役員会の規模と役員」の資料を読み直していると、役員会と関係会社の部分で、7社のところに神田清右衛門さん矢倉甚兵衛さん、5社のところに神田佐七さんに加え田島喜八さんの名前があることに気づく。

 神田清右衛門さんは明治に公選で選ばれた最初の串本村長である。神田佐七さんは大正7年にそして田島喜八さんは大正9年に串本町長になっている。矢倉甚兵衛さんを加えた4名は紀州藩の地士の家系である。こうした人たちが明治期の串本の捕鯨事業を展開していたのだ。

 6月 1日 防災ジオツアー

 南紀串本観光協会主催の姫川道ツアーを防災ジオツアーとして取り組む。まず、旧養春小学校で、プレート境界型の地震発生のメカニズムを説明し、そこから一次避難所の市助ミカン畑へ。次に二次避難所となっている海林寺に行って、姫区全世帯の非常用持ち出しを衣装箱に入れて保管している防災倉庫を案内。途中の道すがら宇津木石の塀を説明「古座川の一枚岩と同じ石です」。

 姫川に行って氏神社にお参りして、宇津木の花の花筏が流れる小川で小休止。山一つ隔てた伊串川水系には流紋岩の石が多いのに、くじの川水系には堆積岩しかないことを説明し、1500万年前の南北の貫入岩脈の話をする。

 昼食休憩後、くじの川の還流丘陵を説明し、辻地蔵から大辺路街道へ。しりでの坂展望台ではクジラの習性と地形的条件から古式捕鯨が取り組まれた話をする。5.5キロのコースを五時間かけてまわるゆったりコース。「私の話を理解しようとか覚えようとかせずに、悟ってください」との臨済宗の教えはウケました。

     
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