仲江孝丸活動メモ

 このページは仲江たかまるの私的な日記です。時には冗談も交えていますので、冗談を理解できない無粋な人は速やかに退場して下さい。 EXIT  

 
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 8月30日 納金

 共産党新宮事務所まで新聞代の納金に出かける。ついでにイオンに行って宇久井の息子の家に立ち寄る。下里のハチで買い物をして帰ってくる。

 午後から残っていた読者宅に集金に回る。古田方面の情報を仕入れて来る。夕方から養春の草刈りをする。陽春のグラウンドはかつて畑だったところを生徒や保護者が浜から砂利を運んできて造成した土地なので、時々陥没して穴が開く。

 草刈りをしていたら3か所の陥没を見つける。トランプの兵隊が出てきたら困るので、砂利で穴をふさぐ。

 8月29日 館内ガイド

 ジオパークセンター館内ガイドの当番日。外国人が来たので英語が堪能な相方に対応してもらう。なんとフランス人で、2週間ほど前から日本に来てレンタカーで全国を回っているという。フランス人の場合英語を話せない人も多いのだが、英語が通じたので、相方は随分長く説明を行っていた。これから本宮大社に向かうのだとの話。

 南紀熊野ジオパークの盛り上がりについては最近あまり感じられないが、このところジオパークセンターの床板が盛り上がってきて大変なことになっている。除湿器を2台稼働させているが、治まらない。9月に入ったら業者が来て修繕を行うようである。

 8月28日 集金

 赤旗日刊紙の早朝配達を済ませ、午前中は日曜版の配達、午後は集金に回る。行く先々で交わす言葉は「毎日熱いですね」バイクをとめるときも日陰を探してとめないと、集金を終えバイクに乗ると尻が燃えてくる。

 夕方くしもと町立病院に入院している母を見舞いに行く。早くも1週間が過ぎた。本人は「何で入院しとるんやろ。はよ家に帰りたい」というが、「いやいや、食事が出来んようになったから入院させて貰ったんや」点滴を打ってもらい、顔色もよくなり少し肉もついてきたように思う。

 8月27日 会議のはしご

 午前中に議会運営委員会が開かれて出席。9月議会は3日4日に議案審議。エルトゥールル号慰霊祭が行われる関係で休会が長く、一般質問は24日25日26日の予定である。

 午後から文教厚生常任委員会。質疑の時に長々と思い出話をする議員がいて、委員長としてたびたび「質疑は簡潔に」と注意をする。

 その後、内緒の会議が入り、夜は姫区の役員会。

 8月26日 全国大会の準備

 朝からジオパーク全国大会のポスター発表の要旨を送信しようとするが、パスワードが判らずに苦労する。まず登録ページへ入れず、パスワードを変更して入れるようになる。ところがポスター発表の入力ページに入れず、何度もやり直す。

 十勝岳ジオパークの事務局は知り合いなので、電話しようかメールしようかと迷ったのだが、もう一度先月来たメールを確認するとIDとパスワードが書かれていて、時間はかかったが一件落着。無事要旨を送信する。

 午後から新宮市で開かれる講演会に出席を予定していたのだが、急遽車を修理に出すことになり、代車が3時ごろ来るということになり、出席できなくなる。そのため空いた時間を利用して全国大会用のポスターを作成する。

 8月25日 戦跡ツアー

 松本市内の戦跡をめぐる半日ツアーが行われ参加する。戦跡ツアーといえばいつもはガイドの立場だが、今日は客として気楽に参加する。陸軍の赤レンガなど北部の戦跡を巡る。明治に建設された小学校の建物を利用した歴史民俗資料館では次回の歴史展に使える情報を幾つも学ぶ。

 12時50分過ぎのしなのに乗って大阪周りで帰宅したのだが、阪和線で線路のトラブルがありくろしおの発車が40分ほど遅れる。紀勢本線に入って印南でイノシシを撥ねる。結局串本到着は80分遅れとなる。

 8月24日 分科会

 戦争遺跡ネットワーク全国大会の二日目は3つの分科会に分かれて、地域の取り組みの発表が行われる。私の参加した分科会では5人が体験発表を行なったが、中でも凄かったのは沖縄戦で戦争を引き延ばした悪名高い牛島司令官・牛島満氏の孫にあたる牛島貞光さんの発表。

 東京で暮らしているが、41歳から沖縄で祖父の足跡を調べ始め、なぜ沖縄の住民被害が多くなったかを調べ、映像や資料、砲弾の破片の実物を使って語り部活動を行っている。中でも那覇市の首里城の地下にある第32軍司令部壕の保存・公開・活用を取り組んでおり、今回も写真や模型を使って、分かりやすく話をしてくれた。

 8月23日 松本へ

 全国戦争遺跡ネットワークの全国大会に参加するために朝8時過ぎに姫駅を出発。会場到着は午後3時半ごろ。既に大会は始まっており、基調報告は聞けなかった。

 松本の戦争遺跡16年の変化と登戸研究所の疎開の地域報告があり、会員総会が開かれ、18時から交流会が開かれるが、開始に先立ちポコアポコなる地元バンドの演奏があり、「何か聞いたことのある名前やな」と思っていたら、ボーカルは鈴木幹夫さんで、若いころ新宮市の文協(文化愛好協会)のメンバーで、私たちが主催した「雪どけフォークコンサート」に出演してくれたことがある。

 おたがい年を取ったが、懐かしい思い出話を交わす。

 8月22日 館内ガイド

 ジオパークセンター館内ガイドの当番日。中堅教職員等資質向上研修(後期)がセンターで開かれ、座学・フィールドワークの後、館内を見学するというので、エントランスでの解説とエムリバーの実演を担当する。

 ジオパーク全国大会でのポスター発表の要旨をセンター専門員に見てもらってアドバイスしてもらう。「え~んちゃいますか」との意見なので、そのまま提出することとする。

 8月21日 母の入院

 木曜日なので新聞の早朝配達日。配り終わって残部数を確認すると一部多い。もう一度配達ルートを回って、確認すると、日刊紙・日曜版読者に日曜版しか入れていないことが判り、解決する。

 午前中は日曜版の配達集金。昼食に家に帰ると、女房から「お母さんが昨日から何も食べていない」との話。午後からは街頭宣伝を予定していたが、急遽串本町立病院に連れて行くことにする。電話で事前確認をするも、急患が入っているとかのことで中々対応してくれなかったが、やがて連絡がつき、母を連れて行く。

 診察の結果、入院して体力の回復をはかることとなる。とりあえずコメリに入院の準備品を買いに行って、5人の孫の夕食の準備は私が行い、女房は準備品と入院手続きの書類を届けに行く。

 8月20日 孫と遊ぶ

 あさ4時起床で、ジオパークガイドの会の定番ツアーコース作成の資料をとりまとめ役員と推進協議会の担当に送付する。9時過ぎに役場に行って課長と意見交換。

 10時半に宇久井の小6の孫が電車でやってくるのを姫駅まで迎えに行って、高知の孫二人と同居の孫とを連れて、オークワで昼食を買い、中崎まで泳ぎに行く。手長エビを6匹ほどかいて、唐揚げにしようと考えていたら、それを見た高知の孫が「ほんとに食べるのか」と何度も繰りかえし聞いてきて、しまいに泣き出したのでやむなく、放流。おやおや、鶏も牛も食べるのにね。

 8月19日 文教厚生常任委員会

 議会の常任委員会を開催する。社協から出されている要望書を審議するために社協の会長と事務局長に出席してもらって質疑を行う。各委員からは結構厳しい意見が出される。

 午後から田辺市大塔村の人権委員会の役員の人たちが11月に行う予定の戦跡ツアーの下見にやってきて、案内をする。

 8月18日 孫と遊ぶ

 高知の孫4人のうち小学校4年生と1年生の二人を暫く預かっている。同居の5年生の孫と一緒に朝からそら・みるに行く。展示を見て映像を観て土産を買って宇宙服で記念撮影。

 その後オークワ古座川店で昼食を買って、中崎まで泳ぎに行く。昨年は日向灘の地震の影響で古座川に水遊びの客が殺到したが、今年は通常の賑わいである。小4と小5はある程度泳げるので心配ないが、小1がまだ泳げないので常にそばに居なくてはいけないので、自身が潜って遊ぶことは出来なかった。

 8月17日 館内ガイド

 半月ぶりにジオパークセンター館内ガイドの当番日。暑さと湿気でセンターの床が浮き上がって大変な状態になっている。来館者は盆前からこのところ400人前後で推移してきているが、午前中は前日と同じくらいの人数だったが、午後からはあまり伸びず一日の来館者は220人ほど。

 夕方、台湾からの来客があり、今日の相棒は英語が得意なので対応してもらおうとしたら、英語も判らないという。結局翻訳ソフトのお世話になり、エントランスでの解説を行う。展示や映像は一部中国語対応になっているので、楽しんでもらえたようである。

 8月16日 ソーラー避難灯

 朝7時から盆踊りの跡片付け。終了後役員で主な避難所にソーラー発電のLED電灯を設置する。中国製だが結構大型のパネルを備え、コントローラー付きで、何のために使うのかわからないがUSBメモリーも付属している。3か所の設置までは付き合うが、残る2か所は孫を迎えに行かなければならなったのでタイムアウト!

 午後から4人の孫をつれてプライベートビーチ・姫海岸に行く。小6・小5・小4は勝手に泳ぎ回っているが、小1は最初怖がって入りたがらなかったが、紐を付けた浮き輪に尻だけ突っ込んで仰向けにぷかぷかと浮かせてやると、「気持ちがいい」といつまでも空を眺めて浮かんでいた。

 8月15日 盆踊り

 午後からやぐらを組み立て提灯の飾りつけを行う。今年は区長が初めてで、その代わり船頭が大勢いてあ~でもないこ~でもないと言っている。私は何度も経験してきているので、間違っていると判っていても、今は一役員の立場なので傍観していた。

 夕方少しざ降りがあったが、盆踊りは無事開催出来た。途中音響がおかしくなって、供養踊りを終えた後、打ち切りとなった。最後のくじ引きは元小学校校長の区長は参加している小学生に引かせていた。普段は5年生2名と1年生1名しかいないのだが、盆なので1年生から6年生まで来ていた。今年の1等賞の景品は新米10Kg。

 8月14日 海軍送信所特別公開

 歴史展のフィナーレで植松海軍地下送信所の特別公開を行う。朝10時のスタートでは時間前に来た10名を案内しようとしていたら、その後も続々とやってくる。遅れてきた人たちは先発の人が地下を見学するのを待って案内する。結局この時間帯に来た人は25人。

 その後11時・13時・14時・15時と開催して延べ参加者はちょうど50名。これで全ての歴史展の行事は終了。文化センターに立ち寄って、書籍等を回収して家に帰る。

 夕食後孫とキャッチボールを行う。やるたびに上達していることが判る。以前はいやいややっていたので、なかなか上達しなかったが、5年生になって下級生が先にレギュラーになっている姿を見て、ようやくやる気が出てきたようである。ちなみに孫の背番号は17番。あの大谷と同じなのだが、今のチームで17番目ということ。早くレギュラー番号になるようお祖父さんは特訓に付き合う日々である。

 8月13日 歴史展最終日

 文化センターでの展示の最終日。戦跡ツアーが行われる。これまでは私がガイドしていたが、今回はジオパークガイドの会にガイド派遣を依頼する。
 
 2時間で4か所の戦跡をめぐるツアーで、私は地下送信所でヘルメットとヘッドランプを用意して待機する。ところが中々バスがやってこず、終了予定時間の11時半に到着。ガイドは急ぐ様子もなく、文化センター到着は12時を過ぎた。終了時刻を守ることはガイドの基本である。

 午後から最終日だからと来てくれるお客さんも多くいて、盛況のうちに歴史展の展示は終了した。

 8月12日 盛況

 「朝日新聞の記事を見た」との事で、大勢が歴史展に来場してくれる。盆の帰省客が多いのだが、日高町から来てくれた人たちは「各地で平和のイベントをやっているが、地域のことをこれだけ掘り起こした展示は見たことがない」と絶賛してくれた。有難いことだ。

 明日は展示の最終日で戦跡ツアーも行う。ダークツーリズムとして定着を目指している。

 夜、孫たちと勝浦の花火を見に行く。6時半に着くと駐車場がなく、勝浦小学校前の駐車場に止めて前の港から観る。開催前にドローンショーが行われる。光を点灯させながら結構長い間飛ぶもんだなと関心する。

 8月11日 初盆

 朝日新聞に歴史展の事が報道された。結構長く取材してくれていたので、私の長年の取り組みがうまく報道されている。榊原記者。ありがとうございました。

 朝から歴史展は休ませていただき、初盆の家を回る。姫を一通りお参りさせてもらった後に、太地の堀端勝之先生の家に行く。若いころ一緒にわらび座を取り組んだ思いでがある。

 午後から歴史展に行くと、新聞を見てきたと言ってくれる人、Facebookを見て帰省のついでにきたという人、色々な人が訪問してくれる。歴史展もあと二日である。来ないと悔いが残りますよ・・・・・。

 
 8月10日 歴史展6日目

 「ZTVで観たので」と宇久井から昭和20年1月生まれのおじいさんが杖をつきながらやってきてくれる。大阪生まれで大王製紙に就職したのでやってきて宇久井に住み着いたのだという。足が不自由なのにわざわざ電車に乗ってきてくれて主催者側としては感動ものである。

 息子を連れてやってきてくれた町内在住のお母さん。お祖父さんがソ連軍に拿捕されて、シベリアで亡くなったのだが、満州にいたときからシベリアに行くまでハガキを沢山送ってきており、それが家に残っているという。末息子が生まれてすぐに徴兵されたので、息子たちに対してカタカナで少し大きめの文字で書いており、スペースの関係で大人向けの文章は小さな文字で、びっしりと書いてあるという。数年前に祖父の亡くなった地を訪ねてシベリアまで行ってきたということである。

 戦中戦後の情報を収集するというのも、歴史展の大きな目的である。

 8月 9日 歴史展5日目

 土曜日だから大勢来るかと待ち構えていたが、午前中の来館者はまばら。県主催の手話講座も開かれていて、何人か知人が参加していたので、昼休みに展示の解説を行う。

 午後からは議会事務局長夫妻や芝山議長も来てくれる。「TVで観たので」と和歌山市から盆前の墓参りに来たという夫婦も来る。う~ん、うちも女房の実家の墓が和歌浦にあるのだが、お参りに行く暇がない。
 
 8月 8日 歴史展4日目

 準備できていなかった玄米が入手できたので、一升瓶に入れて突き棒を差し込む。終日冷房の効きどろい部屋でいいた膝の裏側のふくらはぎが赤く腫れてきた。あせもである。

 今日も来館者からいろいろな情報を頂く。「祖父が海軍航空隊の整備士として京都から派遣されてきてそのまま住み着いた。実家には軍服姿の祖父の写真が飾られている」「戦後生まれだが子どものころは食糧難だった。津荷の知り合いの家まで鉄道トンネルを歩いて魚を貰いに行って、それを食べずに川口まで持って行って米と換えた」「串中の校庭に火薬庫があってドラム缶がおかれていた」「金毘羅さんに機銃の台座があって、当時は周りに木も生えていなくて、見晴らしが良かった」とかの戦後体験も聞かせて貰った。感想文と併せて記念誌として残したいと考えている。

 8月 7日 黒太郎&周美コンサートin速玉大社

 歴史展の3日目。串本中学校の平和登校の日で、「朝から文化センターで映画鑑賞、終了後平和展の見学」と毎回恒例のスケジュール。

 役場庁舎が移転したこともあって町職員の来場が激減している。以前は職員を連れて見に来てくれる課長もいたが、町の歴史を知ることへの意義をどうとらえているのかだと思う。

 夕方女房と新宮市の速玉大社に行く。長野上田市の無言館の絵画展示と同時に黒坂黒太郎・矢口周美コンサートがあるというので、久しぶりに会いたいと思って出かける。矢口周美さんは新宮出身で、若いころ新宮文化愛好協会(文協)のイベントでよく一緒に活動した仲間である。仲間内で唯一プロにになった人でもある。

 私より5歳くらい上だったと思うが、澄んだ歌声は健在で、しかも強弱・間合いの取り方はやはりプロであると感心した。古座町時代、選挙最終日のアナウンスをしてもらったこともあり、4月に11回目の当選をしたことを報告する。本人からは「また行くよ」と言ってくれた。

 8月 6日 歴史展二日目

 朝一番に西向小学校の4~6年生がやってくる。私の孫は5年生で、このメンバーは大半が毎年のカヌー川下りでおなじみのメンバーだが、一通り展示の説明を行う。

 私「80年前に行われていた戦争はどことどこの戦争か知っていますか?」5年生Mさん「連合国と枢軸国の戦争です」え~!!
 私「戦争での一番多い死因をしっていますか?」5年生Mさん「餓死と病死です」え?!!!!

 孫の同級生で落ち着きのない子どもだと思っていたら、見かけによらない。NHKの取材にも自ら挙手をして応じていた。夕方のテレビで放映されたが、しっかりした話をしていた。

 8月 5日 歴史展初日

 朝から昨日配り残した作業日当を配って回る。あと一軒留守で配り残す。

 終戦80年平和の歴史展の初日を迎える。開会時間に訪れた4人組がすごく熱心に解説を聞いてくれる。新聞記事を見て那智勝浦町からやってきたとの事で、次から次へと質問をしてくる。丁寧に説明をすると、帰りがけ、「満州の写真集を持っている。有効活用してくれる串本町に引き取って欲しい」との有難い申し入れ。13日の戦跡ツアーに申し込んで頂いているようで、その日に持って来ますとの事。

 夜、ジオパークガイドの会の役員会。定番ツアーのプログラムに関する協議が主で、終了時間になってから、ジオパークセンター館内ガイドのシフトに関する意見が出される。不公平だとの意見だが、館内ガイドは仕事である。資格を持っているから皆平等に勤務できるというものではない。推進協議会の評価を聞きながらシフトは組まれている。

 8月 4日 歴史展の準備

 朝から紀陽銀行に行って、昨日の作業日当をおろしてくる。それぞれ袋を用意して、割り振りするために金種別に細かく分けて、両替手数料もしっかり取られる。昼時に配って回るが留守宅が多く、3分の1程渡すことが出来なかった。

 午後2時より、明日から開催する終戦80年平和の歴史展のパネルの準備を行う。とりあえず用意したパネルをストーリーに沿って割り振りしていく。レイアウトを考えながら掲示していくが、足りないパネルや、不要なパネルを選別し、追加データーを事務局に渡し、作ってもらう。

 8月 3日 草刈り

 姫区の寺と墓の草刈りを行う。集合時間は午前6時半。日当をアップしたからか20人余りが参加。ひと段落着いてから姫川道の草刈りに行く。10時過ぎに作業は終了。時給は1500円か。この猛暑の中高いか安いか・・・・。参加者を記録して、日当の一覧表と支給袋を作成する。明日銀行でおろして、各自に配る作業が残されている。

 午後から風呂のペンキ塗りを行う。天井を塗っていたらペンキが降ってきて耳元にかかる。危ない危ない目に入らなくて良かった。その後、冷房のない部屋にこもって歴史展の資料作りとジオパークガイドの会役員会の議案書と資料を作成する。

 8月 2日 田辺市へ

 朝から歴史展の資料作りと5日に行うジオパークガイドの会役員会の議案書づくりをしていると、女房から催促の声がかかり、洗面所のペンキ塗りを手伝う。風呂も一緒に塗りたかったが、前のペンキが剥げてきていたので、それを削って水で洗ったので乾かす必要があり、本日は洗面所だけにする。

 午後から共産党の会議が田辺市であり出席する。夕方帰宅して食事後資料作りをしていたら、娘と孫が浜に花火を見に行こうと誘うので、行ってみたら先客が3名ほどいた。

 8月 1日 納金

 共産党新宮事務所まで新聞代金の納金に行く。ついでにイオンで買い物。帰り道、三輪崎の知人宅に立ち寄り、下里のハチで食材を買ってくる。

 帰宅後バイクで未収金の5軒を訪ねるが、結局1軒不在で集金ができなかった。この家にはすでに5回以上訪問しているが、車が止まっていなかったり、車が止まっているからと訪れてみても、鍵がかかって留守だったりと、どうしても会えない。

     
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